2010年8月19日木曜日

平安時代の理科離れ

 先に紹介した『「理科」で歴史を読みなおす』という本に、平安時代の理科離れという一節がありました。独特の表現がされています。

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 文化には波がある、というよりは倦怠期がある(略)。十世紀ごろになってくると新しい知識、文物が流入することもない。組織もまた老化する。算博士は世襲化し、教育にも熱気がなくなる。また、大衆も算術の割り算も忘れ、算師に敬意を払わなくなる。歴法も衰退する。
 国家を挙げて奈良の大仏を作った時代、天皇の敬虔な仏教信仰の時代を遠くなった。官営だった鉱業は店じまい、政府の後ろ楯を失った。京都を舞台とする最澄、空海の仏教も巨大な仏像を必要とするものではなかった。
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 平安と平成は一字違いですが、良く似ていると思います。気候が温暖なことも似ています。でも、このあとは寒冷な時代がきます。平安末期は乱世となり、武士の時代の到来というドラスティックな時代変化が訪れます。現代はどうなるのでしょう。

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