2014年4月17日木曜日

あの日わたしは(4)

○2011年4月29日

 東日本大震災では、液状化現象も多数発生しました。上司が千葉県の稲毛海岸の液状化が特徴的な分布をしているというので、調査に同行させてもらいました。埋立地の旧河道というべき澪筋に液状化が集中し、1987年千葉県東方沖地震でも類似した傾向があることが分かりました。やっていることは空中写真や旧版地形図の判読、現地調査にヒアリング、微地形分類図の作成と、卒論とまったく同じです。やはり、現地を歩き写真と古地図といった定性的な情報の記載、モデリングが原点であるという思いを新たにしました。この思いは、応用地質学会誌vol54,№2に投稿した報告で「現行の地形分類では「埋立地」と一括されることが多いが(中略)地形発達史的背景や土地利用履歴、地質情報との関連を明らかにすべき」という結びに込めました

2014年4月15日火曜日

地すべり地形学図- これこそ応用地形判読

応用地質学会環境地質研究部会の例会に参加してきました。そのなかで、専修大学地理学教室の苅谷愛彦先生のご講演があり、北部飛騨山脈の地すべり地形学図というA0版資料を頂きました。先生のホームページや学会誌にも発表されていました。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/122/4/122_122.768/_pdf

かつて氷河・周氷河作用で形成されたと考えられていた堆積性の緩斜面が、実は地すべり・マスムーブメントによって形成されていることが多いということを中部山岳地域を中心に研究されています。形成時期は後氷期に多いようです。

(応用地形判読士の問題では”あえて”いろんな地形要素を読ませようとしていると感じますが、地滑り、重力変形地形の問題一つとっても第四紀後半の地殻変動・気候変動を理解しないと詳細な分類図は作成できません。ですから、重箱の真ん中を出題してもいいと思います)

2014年4月6日日曜日

あの日わたしは(3)

○2011年3月11日

 仕事で丹沢山系の防災施設点検を行っていました。丹沢山系というのは神奈川県北西部の山地で、1923年9月1日の関東大震災で多数の谷壁斜面が崩壊し、その後砂防堰堤も造成されました。凝灰角礫岩の風化・破砕が顕著であり冬の北風で落石のパラパラという音が聞こえるほどですが、砂防堰堤の築造されている場所は新鮮岩が露出する箇所にあり、80年以上経過しても健全な状態を保っている。名工は地形・地質をよく見ているという格言を実感しました。インフラの維持管理が声高に叫ばれる昨今ですが、古いから傷むという単純化された考え方が支配的です。そうではなく、歴史的建造物や古民家など何度も大地震・風雪に合いながらも立派に耐えているのは、その土地の地理的条件に応じた建築技術が用いられているからです。
 話を“その日”に戻します。午後5時頃携帯電話の電波が通じる場所まで車を走らせ会社に業務連絡をしようにもつながりません。すると九州の兄から安否を確認する電話があり、車のラジオをつけて何が起こっていたかを知りました。