2011年7月31日日曜日

理論や計算ではどうしてもでてこない

砂防特論より

山津波や土石流のことはごく大略の定性的なことが判っているだけで、殆どなにも判らないのが実情であろう。山津波や土石流のことは理論や計算ではどうしても出てこないので、なにか実験的な研究をやらなければならないと思っているが(略)そういった実験が始まった報告はない【伊吹正紀:砂防特論】

いまはGISと計算で、一応の答えはでるように成ってます。でもそれは、あくまで一応です。土石流にも形成されるに至る歴史、土地条件、地質条件、ふたつとして同じ現場はありません。

2011年7月30日土曜日

7年前の豪雨と地震

 新潟県の豪雨といえば、7年前の豪雨災害が思い出されます。7年前といえば、中越地震のあった年です。そして、西日本を中心に豪雨災害が多発し、”いまで言う深層崩壊”も多かった。ですから、応用地質学会誌でも、豪雨災害と中越地震の特集号、地すべり学会では2004年の土砂移動として特集号も組まれました。特徴的だったのは「複合的」いう言葉が使われたころです。豪雨の後、地山がとてもウェットだったために、大規模な地すべりが多発する素因となったという見方です。
 でも、少し調べてみると、アメダス栃尾では2004年7月13日に421mm、最大時間雨量62mm、地震3日前の10/20に日雨量92㎜、最大時間雨量10㎜ですね。そのあと日雨量で14mm, 2mm、地震当日6mmですから、”直前の雨”はそうでもなかったのですね。牛山先生は、最近豪雨が多発する傾向にある”ある種のイメージ”があるとおっしゃってますが、ちょっと近いものを感じます。

2011年7月29日金曜日

地形と地形種

 地形学、地形分類の第一人者、鈴木隆介先生の講演(於:土木学会)のPPTがあります。

斜面の地形工学的見方 http://www.jsce.or.jp/committee/jiban/slope/080314/suzuki.pdf
 そのなかで、地形のプロの見方は地形種(Geomorphic species)で、アマの見方は地形(Landform) :日常用語固体地球の表面の起伏形態:成因を問わない形態用語であると説明されています。天気予報などでも、雨で地盤が緩んでいます、とはいうものの「プロ」と「アマ」の見方を区別して考え、伝えらえられるようになると、地中でなにが起こるので崖が崩れるのか、それこそ単なる”崖”ではなく、鈴木先生の地形種まで一般に理解されるようになると防災産業も展開しやすくなるのでしょうか。

2011年7月28日木曜日

九世紀の地震と現代

 寒川旭氏の「地震の日本史」の増補部に、平安時代に発生した貞観地震とその前後の地殻変動についてまとめられています。本の帯にも書かれているように、「東北巨大地震の18年後に南海大地震が起きて」いますし、富士山が青木が原樹海を形成する噴火もしています。前にも書きましたが、富士山が噴火することを真に受けられる人がどれだけいるか、、、
 平安時代といえば、現代と共通するのは温暖化です。90年代以降を「平成の温暖期」なんて言葉で形容するのかどうかは分かりませんが、科学性を別にすれば平安時代の方が、自然観が素直だったと思います。たしかに京都鴨川の段丘面が侵食され一段増えたというほどの豪雨期だったようなので、地学的スケールを心に持っておけば、昨今の豪雨も”さもありなん”として必要以上にうろたえずにすむかもしれません。

2011年7月27日水曜日

日本沈没 小松左京氏逝く

 恥ずかしながら本も読んでいないし、映画も見てません(2006年リメイク版は見ましたが)。うちの社長もショックを受けていましたし、太田さんも「地質屋の大恩人」と言われる方ですから、かなりの影響はあったのでしょう。初版が1973年といいますから私が2歳のときです。
 死都日本もいい作品ですが、社長いわく、ちょっと映画化など娯楽化するには真面目すぎるとのこと。リメイク版で見たかぎりでは、阿蘇山が大噴火しAso-5ともいうべきスーパーボルケイノになったり、中央構造線と糸静線が水没したり、、派手なことこの上ないのですが、地学へのとっつきという意味でよかったのだと思います。明日にでも書店に買いに行ってみます。

2011年7月26日火曜日

テレビ朝日 Jチャンネル

首都圏に水害の盲点 震災後の都会に迫る…"隠れ土砂災害”とは

という番組に、社長が出演します。”隠れ”ているのは、普段何気なく眼にしている風景(谷埋め盛土とか)のなかに、災害要因があるということだと捉えています。

2011年7月25日月曜日

世界一

 ワールドカップで優勝した”なでしこJAPAN”がひっぱりだこです。通常数百人だった観客も1万数千人にに膨れ上がったとか、、やはり世界一の効果はすごいものです。
 翻って地学はどうでしょうか。これまで”女子サッカー”のようにといっては語弊がありますが、マイナーであったように思います。ノーベル賞に地質学賞がないのは、そういった意味で”イタイ”。東日本大震災のように”悲劇”によって注目はされましたが、これから暮らしのあんしんに貢献するという意味で注目されるようにしたいものです。

2011年7月24日日曜日

大塚勉先生のご講演

 昨日は信州大学の大塚勉先生のご講演を聴きました。大塚先生は信州大学に20年以上勤められ、ご自分のことを「井の中の蛙」とご謙遜なさっておられましたが、松本盆地とその周辺の活断層の研究を精力的に進められています。講演のなかでも述べられましたが、複雑系の露頭・現場を読み解くというフィールド・ジオロジーの本懐を大事になさっていることは、何人もの門下生の明るい表情をみても分かりました。そのあとは飲んで飲んで、、、

2011年7月23日土曜日

1次の共通科目免除資格を見直すべきでは?

 Googleアラート「技術士」で届いた記事です。

 1次の共通科目免除資格を見直すべきでは?
 http://16611.webspace.ne.jp/rental/img_bbs2/bbs.php?pid=16611&mode=pr&parent_id=27651&mode2=tree

 私も「共通科目」が免除されないため連敗つづきです。なんせ高校時代文系だったものだから「数学」がとても厳しい。でも基礎科目や共通科目の基礎知識がしっかりしている人は、会話をしていると差を感じることもしばしばです。共通科目を全員必須にすると、合格率が激減しそうです。やはり更新性の方がよのでしょうか。といいつつ今日も数学の問題の前にあぶらあせ、、、、

2011年7月22日金曜日

街角の本屋さんで建築知識

 宅地の地盤防災について述べたような書籍は、これまでかなり大きな書店の専門書のコーナーにしかありませんでした。ところが、今日立ち寄った各駅停車しか止まらない小さな駅の脇にある書店で、建築知識8月号を見つけました。
 なんと「趣味の園芸」の横にありました。なるほど、実用書のコーナーにあったほうが、普通の人がてに取りやすいですね。

2011年7月21日木曜日

ぴあ - Video Killed the Radio Star

 以前太田さんのブログに、Video Killed the Radio Star という記事がありました。世の常として新しい時代に取って代わられるのですが、今日、ぴあの歴史が終わったんだそうです。バブル世代ど真ん中の私にとっては、一抹の寂しさがあります。情報誌であればどうしてもインターネットにはかなわなかったのでしょうが、限られた空間の紙媒体に情報を伝える創意工夫といった”考える楽しさ”が、誌面に満ち溢れていたのが魅力でした。東日本大震災が起こって、少しは"本質を見る、考える”世相が出てくるかと思いきや、相変わらず安いほうがいいの一点張り、、どこに良質な技術があるか、誰が有用な情報を持っているかさがす、まとめる楽しみはもうないのでしょうか。

2011年7月20日水曜日

天正地震と津波

 関西大学の河田先生が、山口県と福井県でも津波の可能性を指摘されています。

 http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110726-OYT1T00968.htm
 河田教授は、〈1〉1586年の「天正大地震」の際、若狭湾沿岸が津波に襲われて多数の死者が出た〈2〉100年~150年周期で発生する巨大地震「南海地震」では、津波が山口県の瀬戸内海沿岸に到達することがある――などの最近の知見を紹介。「最悪のシナリオを考え、津波対策に万全を期す必要がある」と訴えた。

 天正地震といえば帰雲城崩壊がイメージされるのですが、地震動だけでなく斜面崩壊でも津波は起こりますので、史実のある地震を追求する意義は大きいでしょう。

2011年7月19日火曜日

地震の日本史

地震の日本史 増補版 大地は何を語るのか 寒川旭著
http://www.toyokeizai.net/life/review/detail/AC/20a4a11b5f03e482605ad08794a9d202/

平安時代初期の9世紀、日本全国で地震が相次いだ。東日本大震災に匹敵する869年の貞観地震。その少し前の864年から2年間、富士山の火山活動が活発になり、流れ出した溶岩が青木ヶ原を形成。そして、878年に相模湾付近が大地震に見舞われ、さらに887年には、南海トラフから仁和南海地震が発生し、大阪湾にも津波が押し寄せた。このときに、東海地震も同時に、あるいは連続して発生した可能性が高いという。

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社会・理科のうち、日本史を履修者は文系にかなり多く、地学は文系・理系とも相当に少ないのですが、両者の橋渡しとなるように本だと思います。

2011年7月18日月曜日

ストック型の社会は可能か

 以前このブログでも紹介した、藤田和夫先生の記事「震災を語る 自然観」では、「防災は貯蓄だ」と語られています。

 http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/kataru/1999/990928-hujita.html
 防災は貯蓄だ、ということ。六甲にトンネルを通して淀川の水を運んでいるが、断層で切れたら供給が止まる。年に一つでも小学校の地下に貯水池を造っていくなど毎年の蓄積が大切だ。活断層の分布を知ることは大事だが、そこだけ対策を行えばいいのではない。活断層は地震環境を示す最もはっきりした指標であり、それを取り巻く地盤、建築構造に気配りすることが大切なのだ。

 東日本大震災では電気が不足しました。一般に貯めることが出来ないといわれている必需品です。それでなくでも日本には「諸行無常」という自然観があります。地震ではなくでも台風もあるし、大雪もある、、ゆくかわのながれは絶えずして、もとの水にあらずなのです。自然と調和する知恵という「無形物」を貯蓄しておかなければならなかったのか、、これほど高密度都市が発達した以上、自然と調和するだけでは無理なので、藤田先生のおっしゃるようにある程度のハードの貯蓄をして、リスクを分散させてかなければならないでしょう。そして、その「貯蔵庫」の安全は「場所」が第一なのです。盛土でもなければ活断層もなくて土砂災害の危険性もない、、、武蔵野段丘とか、、、諸行無常に永らくたえてきた場所は、それなりの土地の歴史を持っているはずです。

2011年7月17日日曜日

台風のルート

 大型の台風6号が見たことのないルートを通っています。これまでは、そのまま上陸して日本海に抜けるパターンで、豪雨災害を何度ももたらしてきました。ところが今度の台風は、四国沖でほぼ直角に東に向かいました。
 社長がひとこと「これは南海トラフわ相模湾のトラフをトレースするコースだ。台風によって海面が上昇する、つまり水圧が上昇したり、それがもどったりして、地殻の圧力まで変わってしまえば臨界状態にあるストレスが解放され、地震がおこるのではないか」うーん、、、、、、、、

2011年7月16日土曜日

富士山の噴火 - 想定できるか -

 建築知識8月号に、「都市でもあり得る?火山噴火の被害」というコラムが掲載されています(このコラムを書いたのはうちの社長ですが)。富士山噴火は、想定どころか冗談めかして語られることも多い状況にあります。かつて教科書で「富士山は休火山」と表記されていたことは、実に大きなある種の正常化バイアスをもたらしたと思います。
 意外な盲点として「降灰による荷重は雪より大きい」ということがあげられます。火山灰は10cm降り積もれば木造家屋は倒壊する恐れがあります。雪と違って溶けないから、荷重がボディブローのように効いてるのです。溶けないということは、災害廃棄物としての処理も実に厄介です。東日本大震災でやっと「災害廃棄物」という概念が定着しつつありますが、これをどこまで社会がイメージできているでしょうか。ソウテイガイはもうだめです。

2011年7月15日金曜日

建築知識 - 液状化・地すべり対策

 建築知識の8月号が配本されました。液状化・地すべり対策の特集号で、社長が谷埋め盛土の宅地破壊の解説などを書いています。私は他の仕事で忙しかったので直接は関わっておりませんでしたが、いつの間にか76ページに私の後姿が映っております。この写真が取られたときの調査も、家が傾き始めたのでみてくださいという依頼で、周囲を歩き回った結果、谷埋め盛土の境界部に家が立地していることを突き止めたのでした。
 付録のDVDは、浦安市の液状化の映像が収録されています。家が船になる、、スゴイ迫力です。今回の東日本大震災は、津波、液状化、放射能分布、貴重な情報は、市民の方が沢山持っていると思います。集約できたら、すごく有用なデータになると思います。

2011年7月14日木曜日

BCP

東日本大震災や三浦半島の地震発生の可能性があがったことなどを受けて、私が勤める会社でもBCP (business continuity plan)に取り組んでみようと話し合いを持ちました。震災や計画停電など、いろんなことを経験しましたので、活発な議論となりました。
 うちの会社の場合、人が経営資源でありほとんど全てですから、当社に現在あるのは緊急時の連絡網ぐらいです。それとて災害時に電話が不通になれば機能しないし、個別の対応についても、社長や上司の頭の中にある程度あっても人の記憶はあやふやなので、”紙にして”残しておこうということになりました。いわゆるISO的な書類というよりも、有事のときに”サッとみられる”ものを残しておこうということです。すぐに動ける人はだれで、どんな役割を担うのかイメージしておくこと、書類化=形骸化なので気をつけなければなりません。

2011年7月13日水曜日

三浦半島の活断層

三浦半島の活断層群の危険度が増したと発表され、にわかに脚光を浴びてきました。
でも実際は研究レベルでは1990年代に脚光を浴びていました。多分、「新編:日本の活断層」を編纂しているころに研究が重ねられ、また、バブル時期の宅地開発もありましたので、注目されたのではないかと推察します。

太田陽子(2000):三浦半島の活断層-完新世における活動史と問題点,第四紀研究 38(6), 479-488 http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=jaqua1957&cdvol=38&noissue=6&startpage=479&lang=ja&from=jnltoc

太田陽子(1992):三浦半島の活断層詳細図の試作,活断層研究 10, 9-26頁 http://ci.nii.ac.jp/naid/10004721370

太田陽子ほか(1990):三浦半島北武断層の完新世における活動期と変位様式に関する考察,
横浜国立大学理科紀要. 第二類, 生物学・地学 38, 83-95頁
http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/3040/1/KJ00004479098.pdf

渡辺満久(1990):新興住宅地を横切る活断層・三浦半島の例,活断層研究 8, 97-103頁
http://ci.nii.ac.jp/naid/10004302563

激烈なゆれもそうですが、もともと地すべりの発生しやすい地層であることや、戦前からの谷埋め盛土造成地も多いところなので、戦々恐々たる想いです。東日本大震災では埋立地の液状化だけでなく、内陸の液状化も注目されましたが、三浦半島も段丘や丘陵の谷地形が多い場所です。古地図をみておくのは必須です。

2011年7月12日火曜日

真夏の現場

 道路防災関連の仕事で、1週間ほど紀伊山地の地表・地質踏査をしておりました。激しい河川の侵食により、岩盤は緩んでトップリングを起こしています。斜面は"ゆるくても”40度あるし、節理面は70度以上の高角度受けで谷に向かっておじぎをしているので、手をかけても崩れるのでおっかないこと、、ようこんなところに道をつくったなあと思います。
 ただ、そんな険しい現場であるにも関わらず、山のてっぺんまで美しい杉の植林、、、日本人の律儀さと自然に対する畏怖を思い知らされます。水はとても清らかでしたので、思わず社長が、こんな日にこんな川で泳がないのはもったないと、作業服を脱いで泳ぎ始めるし(私も)。
 この美しい景色をもたらしたのも南海地震なんだよなあと現実的なことを思う一方で、井上陽水の少年時代を口ずさんでいるのでした。

2011年7月11日月曜日

21世紀のkey bed(3)

今年、私の勤める同業者に、自然地理を学んだ後輩が入ってきて、地震調査で活躍ぶり耳にしました。彼女もある意味私と同様に、時代の節目となる大震災直後に社会人になりましたので、地球科学をはじめ、いろんな分野でドラスティックな変革を目の当たりにして、貴重な体験をすると思います(もちろん私もですが)。文学部という背景もあって、地質調査・コンサルタント業界に技術職は出てこないのかとあきらめかけていましたが、このような活躍ぶりをみると、私の20年に少なからず意義があって、地理学教室の「知層」のなかに、明るい色のKey Bedをみつけた気持ちがしました。
 関西大学地理学教室の知層も、ますます厚みと価値を重ねていかれると思います。ひとりのOBとしても後輩の方々のKey Bedとなれるようにしたいものです。

2011年7月10日日曜日

内陸の液状化とあまり知られていない資料

 東日本大震災では内陸の液状化が話題になりましたが、研究レベルでは注目されていました。関東造盆地運動で形成された低地のど真ん中であり、荒川や利根川の河道変遷も地理学の分野などで研究されていたのです。

土地分類基本調査『久喜市・松江市周辺』平成4年3月
http://tochi.mlit.go.jp/tockok/tochimizu/F6/MAP/609001.jpg
自然堤防の描写がちょっと"不自然”なところがありますが、旧河道など全体的な描写は精密でいい資料だと思います

報告書 http://tochi.mlit.go.jp/tockok/tochimizu/F6/MAP/609099.pdf

 平成の省庁再編で国土庁が国土交通省に組み込まれたため、実に目立たない資料となりました。でも精度が高い資料は沢山あります。

2011年7月9日土曜日

21世紀のkey bed(2)

 就職してから数年は、活断層関連の仕事に従事しました。折しも情報技術が飛躍的に伸びる時代でもあり、物理探査・地震探査技術を用いた研究や、地球科学的視点からの活断層研究も発展していきました。そのなかで、活断層は地表に明確な崖・リニアメントを残すとは限らない、むしろ、地殻のストレスの通り道としての結果であって、地表に出なくても活断層が潜んでいるという考え方に発展していきました。ですから、空中写真判読にあたっても、地下数十km以上に潜む活断層までを考える、高度な空間思考が求められるようになりました。2000年代半ばからは、レーザー測量という画期的で超高精度の測量手法の台頭により、学生時代から手がけてきた地形分類も新境地に入っています。

 ただ、ここ十数年は、自然災害はもとより「経済災害」とも言うべき不況風強烈な時代でもありました。私が4回生のときが元年と言われた「就職氷河期」も厳しさを増していると聞いています。歴史を紐解くと、大地震や火山噴火の直後は経済活動がますます疲弊する傾向があります。
さらに「情報洪水」もとても厄介な「災害要因」です。圧倒的かつ玉石混交な情報が絶えずあふれているだけに、その情報を分析し価値あるものを抽出すること自体が仕事になってしまいました。また、コンピュータ・シミュレーションの多用により、scientific であるということは、「数値化すること、計算すること」という認識ができあがってしまっています。先に書いた経済災害と情報洪水に、我が強く不器用な私は何度か振り回されました。 しかし、ここまでなんとか踏みとどまっていられたのは、地理学教室で受けた薫陶がベースになっていたのだろうと、感謝しています。やはり、自然現象でも社会現象、歴史の断面でも、その現場を歩き、定性的なモデリングを構築する。机上の空論ならぬ「地上の正論」は、地理学の本懐であると思うのです。

2011年7月8日金曜日

21世紀のkey bed

母校の同人誌に寄せた文章を、数回に分けて連載します。

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 2011年は自分にとって大きな節目となるという想いがいくつかつのり、千里地理通信に思いを馳せることになりました。その想いに至った背景には、もちろん東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)があります。日本の地形がどのように形成されたか、防災に対する考え方がどうあるべきか、これから様々なことが見えてくるでしょう。また、バブル世代の私は、モノがない、電気がないという事態がおこるなど考えもしなかった。地球科学的にも社会情勢的にも、日本の21世紀は実質的に2011年3月11日にはじまったのではないかと思えたほどでした。
 私が大学に入学した頃、図書館の新着コーナーに「新編:日本の活断層」がありました。卒論を提出した3日後の朝、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生しました。そして、地理学教室の門戸をたたいてちょうど20年目の今年、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生しました。むしろ2000年から2001年に変わったときには驚くほど変化がなかった。

 私は今でこそ地形解析や地質調査の仕事に携わっていますが、その興味の原点は、自然科学や地球科学的なものではありませんでした。
 はじめて受けた地理学の講義で、地理学が多彩であること、現地で考えることが基本であることなどを学びました。一般教養「人文地理」の講義で、「地図は悪夢を知っていた」という伊勢湾台風の被害と地形との関係を学んだ時、“ああ、これだ”と膝をポンとたたく想いがしました。これはライフワークにできると。地図帳や地球儀を眺めていると時間を忘れる少年でしたので、自分で調べ得た情報や考えを地図に表現することで“飯が食える”と。

2011年7月7日木曜日

床地図

 防災科学技術研究所の井口さんから、床地図のサンプルを送ってもらいました。家庭の床くらいかなあと思っていたらこれは大きい。学校教育で体育館などに広げて、改めて日本がどのような環境にあるか、自分の故郷がどのような場所にあるか、文字通り体感することも面白いでしょう。僕が子供のころにこれがあったら、はしゃぎまわっていたと思います。
 私が阪神・淡路大震災のとき冷静でいられたのは、地形発達史を地図をなぞりながら考えていたことが大きい。地形学や地質学を学んでいる仲間も、東日本大震災のとき、やはり冷静でした。”正しく恐れる”ことができていたのだと思います。

 「学ぶ」ことと「楽しむ」ことはイコールがいいので、この床地図はもっと普及させる価値があると言っていいでしょう。

2011年7月6日水曜日

防災格言より-地震の巣

 格言は著書『新・地震の話(岩波新書 1967年)』より。


 最近、耳にする機会も多い「地震の巣」という言葉は、坪井忠二教授が初めて提唱した言葉(造語)である。曰く―――『 地震の震源のかたまりというのは、いわば都市みたいなものである。かたまりがあって、そして、その間にはすき間もある。さて、この震源のかたまりに何という名前をつけたらよいであろうか。いろいろ考えてみたのだが、けっきょく地震の巣というのがいちばん適切なようである。病気に病巣ということばがあるが、あの巣である。
 地震の巣という新しいことばを発明して、それを使うことにするならば、日本における震源の分布は次のようにいいあらわしてよい。東北では地震の巣は大きく厚く、三十-四十キロメートル程度の深さをてっぺんとして、もっと下の方にまでひろがっている。これに対して西南では、地震の巣は小さく、地表から三十-四十キロメートル程度の深さのところまでに納まってしまっている。

2011年7月5日火曜日

地盤今昔マップ

 埼玉大学の谷先生(地理学)の研究室HPでは、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ」がダウンロードできます。

 http://ktgis.net/kjmap/
 
 首都圏、京阪神、名古屋圏の全地形図が収録されています。東日本大震災以降、住まい選びに関して地盤への興味が急速に高まっています。ここに、プロの「解釈」が必要と感じました。膨大な作業量になりますが、このムードを一過性のブームにさせないためにも、大きな企画を考えています。

2011年7月4日月曜日

防災格言 - 脇水鉄五郎

脇水鉄五郎(1867~1942 / 地質・土壌学者 東京帝大教授 日本地質学会会長)美濃(岐阜県)出身の脇水鉄五郎(わきみず てつごろう)は、明治から昭和にかけて活躍された地質・土壌学者。オーストリアに留学後、大正6(1917)年、東京帝大教授となり、日本の森林土壌学の基礎を築いた。退官後は各地の史跡名勝や天然記念物を調査。ハンマー1つを手に持ち、精力的に全国の山々を調査し、一週間ほどで論文を完成させたという逸話も残す。書家の岩越雪峰(いわこし せつほう / 1869~1949)は実弟。この格言は「山地の崩壊に就て(地学雑誌第二四年第二八二 1913年)」緒言より。曰く――――大雨に伴い発生する山地の崩壊は、森林を荒廃し、下流には大水害を及ぼす。その損害は測るべからざるものあり。として、治水の必要性を訴えている。

2011年7月3日日曜日

防災格言より

同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰返されている。歴史に記録されていないものがおそらくそれ以上に多数にあったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。

こんなに度々繰返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。これは、この際誰しもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうならないというのがこの人間界の人間的自然現象であるように見える。

津浪に懲りて、はじめは高い処だけに住居を移していても、五年たち、十年たち、十五年二十年とたつ間には、やはりいつともなく低い処を求めて人口は移って行くであろう。そうして運命の一万数千日の終りの日が忍びやかに近づくのである。これが、二年、三年、あるいは五年に一回はきっと十数メートルの高波が襲って来るのであったら、津浪はもう天変でも地異でもなくなるであろう。

しかし困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。

科学の方則とは畢竟「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。それだからこそ、二十世紀の文明という空虚な名をたのんで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正十二年の地震で焼払われたのである。

2011年7月2日土曜日

すきまをつく地震 防災格言

曰く―――『 地震の震源のかたまりというのは、いわば都市みたいなものである。かたまりがあって、そして、その間にはすき間もある。さて、この震源のかたまりに何という名前をつけたらよいであろうか。いろいろ考えてみたのだが、けっきょく地震の巣というのがいちばん適切なようである。病気に病巣ということばがあるが、あの巣である。地震の巣という新しいことばを発明して、それを使うことにするならば、日本における震源の分布は次のようにいいあらわしてよい。東北では地震の巣は大きく厚く、三十-四十キロメートル程度の深さをてっぺんとして、もっと下の方にまでひろがっている。これに対して西南では、地震の巣は小さく、地表から三十-四十キロメートル程度の深さのところまでに納まってしまっている。』

2011年7月1日金曜日

防災格言

萩原 尊禮(1908~1999 / 地震学者 地震予知連名誉会長 東大名誉教授)
萩原尊禮(はぎわら たかひろ)氏は、日本の地震予知研究政策の生みの親の一人。東大地震研究所教授時代の1962年、気象庁長官の和達清夫(わだちきよお)氏と東大教授の坪井忠二(つぼいちゅうじ)氏らと共に「地震予知の現状とその推進計画」を提言。これが1965~1998年まで続く日本政府の地震予知計画(第1次~第7次)の基本指針となった。1977年に東海地震の判定会(地震防災対策強化地域判定会)が発足すると初代判定会長に就任。「地震警報を出しても、地震対策が十分とられていなければ、いたずらに混乱を起こすだけで益がない。ただ、地震による大被害を防ぐためにも、前兆現象の見逃しだけは許されない。」と会長就任の会見で強い決意を述べられた。