2011年3月27日日曜日

計画停電

 久しぶりにブログを更新します。
 先週は何度も計画停電を食らってしまい、サーバやネットワークの大混乱が続きました。とにかく仕事にならん!!電子納品の時代、電気がないと現代はなんにもできないし、あらゆる仕事ができなくなっている。日中の計画停電の時間に、昔(昭和から平成にかけてのころ)、”ロットリングで清書されて露頭のスケッチ”を、書棚の奥から引っ張り出してきました。現場をどのように観て、特徴を捉えて、わかりやすく表現するとはどういうことか、、、数値や基準値では示すことのできない”味”をみんなで堪能しました。
 地震発生日には砂防堰堤の点検をしていました。そのとき、両岸70~80°の峡谷に、現場にあわせて整然と石をつんで有効高20mの砂防堰堤を見ました。ある意味で「基準」にまみれた現代ではできない職人魂をみたような気がしました。
 電気がないこそみえるものをどれだけ見つけられるか、せめてそういう楽しみを持ってみたいとおもっています(それにしても不自由だ、、、)

2011年3月18日金曜日

長い1週間

 今日で東北関東大震災から1週間です
 停電あり、余震あり、原発問題、、得体の知れない不安感、、空気が重い

 いつもは民家の裏の渓流、斜面、それこそ地震発生時に点検していた大正関東大震災の際に施工された古い石積み堰堤の点検、、そいいったいわば等身大の調査を重ねていた日常、、

 それが、M9.0の地震と津波はとてつもなく巨大で、根こそぎだった、、、
 
 自然科学的、社会科学的、心理学的にもいろんなものが出てくるでしょう。技術者として、ひとまわり大きくなる試練のときと考えたい。 

2011年3月12日土曜日

帰宅困難

 平成23年3月11日、東日本で巨大地震が発生しました。相当の被害が出ています。なくなられた方、不明の方が多数いらっしゃいます。心からお見舞い申し上げます。

 私は、地震の発生時間には、神奈川県の山中で老朽化した砂防ダムの点検の現場におりました。尾根にいたせいか、まったくゆれは感じませんでした。日没時に携帯の電波が入るところに出てきたときに、会社にも誰にも電話がつながりません。そのとき、兄や実家から着信がひっきりなしに入っていたのに気付きました。携帯は発信できないので、実家からの着信とラジオが情報源でした。

 カーナビの目的地にセットして、会社まで42キロ。高速道路が使えないので下道で帰らなくてはならない。のろのろ大渋滞。歩いている人も大勢いますが、はっきりいって歩いている人の方が早い。妻は都内にアルバイトに出ていてやはり音信不通。やっとのことで妻からの着信があり、電車がすべて止まったので社内泊になるとのこと。こちらは車ですから同じ姿勢でずーとのろのろ。会社にたどり着いたのは日付をまたいで午前1:30。42キロの道のりを、なんと9時間。今日からだのあちこちが筋肉痛。妻はやっと今日になって運行を再開した電車にすし詰めになって、今日昼過ぎに帰ってきました。

 思えば、仕事の現場の砂防ダムは、関東大震災による斜面崩壊を契機として造られた施設でした。周囲の岩盤は風化と緩みが著しく、斜面下方にはらんでいる、いわゆる深層崩壊を起こしやすい地形の典型。もし、震源がちがっていたら、、、

 今回の地震は、記録が鮮明な画像でのこる情報発達時代では、地震のエネルギー、災害の規模や複合性、どれをとっても最大級です。”伝説”と”記録”をうまく今後に活かし、防災対策、教育に生かしていくことが必要になるでしょうか。

2011年3月6日日曜日

『デフレの正体 - 経済は人口の波で動く - 』と防災

 結構世代論は面白くて、雑誌の記事でもよく拾い読みするのですが、この本は思わず買ってしまいました。経済のことばかりではなく、日本の国土の未来予想図についても述べているからです。

 『デフレの正体 - 経済は人口の波で動く - 』
 http://news.livedoor.com/article/detail/4851715/ 
 特に深刻なのは、1400兆円の個人金融資産のうち1000兆円以上を60歳以上が保有し、その保有額が死ぬとき最大になることだ。労働せず、消費もしない年金生活者が増えたことが日本経済全体を沈滞させており、これは今後さらに深刻化する。これに対する処方箋として本書が提案するのは、年功序列の廃止や生前贈与で所得を高齢者から若者に移転する、労働人口の減少を補うために女性の就労を支援する、「あまねく公平」をやめてコンパクトシティに重点投資するなど、これも常識的だ。

 ここでいうコンパクトシテイとは、生産年齢人口が3~4割減ったあとは、都市開発地域が縮小し、旧来の市街地や農山村集落を再生し、中途半端な郊外開発地は田園や林野に戻すこと、と著者は言っています。こうもうまくいくとは思えませんが、わからなくはありません。特に山間部は人がいなくなります。そうするとハードによる山地防災のニーズはどんどんなくなっていくわけです。
 いま、「斜面の近くまで生活空間が拡大している」ことと「温暖化に伴い豪雨頻度が上がっている」ことを防災のニーズがある前提とする雰囲気があります。両方とも疑問符がつく時代が来ているということでしょうか。
 逆に、この本の著者は経済学が専門であるせいか、自然科学や技術に対する考え方が私とは大きくことなります(ISOとかエコとか温暖化とか)。長くなるのでひとつひとつは述べませんが、、

2011年3月5日土曜日

バットが折れる悔しさ - 手書きの経験

 豊田泰光さんのコラムに、金属バットの弊害として「バットを折られる悔しさを味わうことが出来ない。これがあるから、技術を自分の体に染み付くよう、努力するというものだ」という文章がありました。なるほど、ピッチャーライナーの危険性と打球が飛び過ぎることだけではなかったのですね。
 そいいえば、地形判読図やスケッチを出来ない学生、技術者が増えていると聞きます。できないというか、やらせてみたらどうにもセンスがないというのです。ある先生は、その原因は、手書きをせずにいきなりCADやイラストレータで書くからではないか、とおっしゃってました。
 私の恩師は、手書きはたとえ人のものの丸写しでも、同じものはふたつとないことが実感できるし、一筆に根拠が必要だからしっかり考えるくせがつくといわれました。ローテクかも知れませんが、手仕事を知ることは、技術に関わるものにとっては必須です。地質に関していえば、自分の仮説が現場で覆されたとき、それはバットが折れたような悔しさなのかもしれません。しかし、そういったことを繰り返して、自然を見る目が少しずつ養われるのでしょう。そして、災害の記憶と想像力が豊かになれば、避けられる被害も増えるかもしれません。