2011年8月31日水曜日

緑の等高線都市

 地すべり学会の帰りのホテルで書いています。釜井先生が直接参考にされたかどうかはわかりませんが、これぞDESIGN WITH NATUREです。また、よみたくなりました。

2011年8月30日火曜日

「最近の地形学 - 崩壊性地形」から27年

 山地防災に関わる地形・土砂移動現象を語る上で、いまでもよく引用される文献があります。

 羽田野誠一(1974a):崩壊地形(その1): 土と基礎, Vol.22, No.9, pp.77-84.
http://ci.nii.ac.jp/naid/110003965935

 羽田野誠一(1974b):崩壊地形(その2): 土と基礎, Vol.22, No.11,pp.85-94.
http://ci.nii.ac.jp/naid/110003965809

今日は地すべり学会の「大規模地すべりの機構解明検討委員会」の初会合だったのですが、大規模地すべりとはなにか、という定義の議論から始める必要があるということになりました。似たようなテーマじゃ、羽田野誠一さんの一連の論文でも議論されていました。このうち(その1)は、それまでの知見のレビューのような感じですが、(その2)の論文において、

日本で現在「地スベリ」と呼ばれることの多い徐動性変動は英語でいうと「クリープ」にあたり、しばしば山崩れ、崩壊、崩壊性地すべりと呼ばれている現象が「ランドスライド」に当たる。(略)。日本では地すべり、山崩れについて多くの分類方式が提示されているが、統一的な基準は確率していない。

と述べておられます。結局昨日も図らずも同じ議論をしていました。
山地防災が基本的に公共事業であり、「3月にケリをつけなきゃいかん」ことがじっくりした議論がなされない原因かもしれませんが、それにしても四半世紀も同じ議論が重ねられているのはさすがにまずいです。平均年齢が下がらないはずです。

2011年8月29日月曜日

プロの仕事とは

 重いタイトルではありますが妙に書類ばかりが多い仕事が増えると、本当に技術者の必要とされる場面が少ないなあと思うことがあります。今日も某所で片手じゃ持てないほどの大量の書類を抱えて打ち合わせに行って、帰ってきた答えは”考えすぎ”"マニュアルどおりやって”ということで、そのまま満員電車へ、、物理探査並みの重さの書類を持ち帰ってきたのでした。
 土石流の到達する範囲、到達しそうにない範囲、地すべり地形や緩み尾根の見極め、これは本来プロじゃないとできないことなんですが、書類を作りやすくするためにマニュアル化してあるので、アルバイト、パートさんの仕事が膨大になります。そういえばこんな記事もあったりして、、、
 
 パートと正社員の業務「大部分が重複」
 http://wol.nikkeibp.co.jp/article/trend/20110701/111384/

2011年8月28日日曜日

各地で津波痕跡調査

 高知大学の調査によると、紀元前後の約2千年前に、東日本大震災の規模を大きく上回る津波が四国に押し寄せた可能性を示す痕跡が発見されたそうです。
 http://www.asahi.com/special/10005/OSK201108270036.html
 これを今回見つかった約2千年前の砂層の厚さに当てはめると、40~65メートルの規模の津波が押し寄せたことになる。岡村教授は単純には逆算できないとしつつ、「過去の津波研究は古文書でその高さを推定してきた。記録が無い時代の津波の規模を推定するのに一つの基準になる」と話す。

 すさまじい規模の大連動が起こったのでしょう。もし東海から日向灘までの大連動だったら、800km断層が動いたとされる1960年チリ地震M9.5クラスだったのでしょうか。

2011年8月27日土曜日

大地は平安ではなかった時代

 東日本大震災は、平安時代の貞観地震の再来であるといわれていますが、そのときの災害史をひも解いてみると、貞観地震の18年後には東海・東南海連動地震が起きているし、内陸でも兵庫県や新潟県で地震が発生している、さらには貞観地震の5年前に富士山噴火が発生しています。まさに平安どころか、大地動乱の時代だったわけです。

 http://web.me.com/orio/kodo/fuji-quake/fuji-index.html?089313603

 さて、現在とにているのは、豪雨も頻発していたことです。京都の災害史をまとめた論文に、興味深いデータが示されていました。

 河角龍典(2004):歴史時代における京都の洪水と氾濫原の地形変化―遺跡に記録された災害情報を用いた水害史の再構築―,京都歴史災害研究 第1号 (2004) 13~ 23
 http://www.rits-dmuch.jp/rekishisaigai/pdf/1go/1_3.pdf

 史料に記録された洪水発生回数は、平安時代前半に増加するが、この時期は、平安京右京が徐々に衰退し、平安京左京において都市開発が著しく進行した時期でもある。この時期、平安京の左京には鴨川の氾濫原(洪水氾濫区域)が広がっており、鴨川氾濫原への市街地の進出も水害を多発させた要因のひとつとして考慮しなければならない。これまで指摘されてきた森林伐採による流域の荒廃による洪水の増加に加えて、こうした土地利用の変化も災害発生回数の変動に影響したと考えられる。

 ここで言われている洪水が、現在土石流や谷埋め盛土としての都市開発となっており、災害のポテンシャルを高める要因となっています。
 
 このような激動の時代のあと100数十年してから、清少納言の枕草子が執筆され、日本の自然の美しさを愛でる文化が台頭しました。人間が自然に学ぶには時間がかかるものです。

2011年8月26日金曜日

土石流を目の当たりにしてテンションがあがる

 今日、北陸地方の荒廃渓流の現地調査を行っている社長から、今豪雨が降ってきたので工事用道路に避難している。そしたら、崩壊が発生し、土石流化、砂防堰堤を越流していく様子を目の当たりにできた。命がけではあったが、勉強になった。と興奮気味に電話がありました。社内で電話を受けた私や同僚たちも「みたかったなあ。いいなあ」と。
 ところが事務系の方は、そんなの何が楽しいの?まあ、普通はそうですね。私たち地質技術者はそういう自然のドラマを楽しむ感覚を持ち合わせた人種です。

2011年8月25日木曜日

豪雨の時に田畑の見回りに行って遭難するという被害をどうすればよいのか

 牛山先生のブログ記事を転載します。本来ツイッターで拡散希望すべきようなことですが、長いのでブログにします。
 
 豪雨の時に田畑の見回りに行って遭難するという被害をどうすればよいのか
昨日,防災科研の井口さんのツイートをきっかけに,「豪雨の時に田畑の見回りに行って遭難するという被害をどうすればよいのか」といった話題での議論がtwitter上で展開されました.関連するツイートを下記にまとめました.

http://togetter.com/li/176104

なお,これまでに筆者がまとめたツイートの一覧は下記から見ることができます.

http://togetter.com/id/disaster_i

2011年8月24日水曜日

記憶の減衰の法則性

 失敗学の権威、畑村先生の「未曾有と想定外」という書籍に、記憶の減衰の法則性という図が掲載されていました。これによると

 3日 → 飽きる  3月 → 冷める  3年 → 忘れる
  30年 → (組織が)途絶える・崩れる
60年 → 地域が忘れる
300年 → 社会から消える
1200年 → 起こったことを知らない

東日本大震災にならぞえられる貞観地震は、まさに1200年のスパンでした。一方で、地質学の時間スケールでは、1200年などほんの昨日のこと、、ここにも地学と人間社会のスケールあわせの難しさを見て取れます。

2011年8月23日火曜日

宅地選びの基準

上のグラフはケンプラッツより 
 
 やはり”首都圏で目の当たりにしたという事実”はとても影響が大きかったようです。地盤の安全性が2番目に来ています。こうなってくると”地盤がこんなところとは知りませんでした”、”知っていたら買わなかった”というのは、十分に調査しなかった自分の責任ということになってくるでしょう。
 ただ、もう一つ制御しなければならないのは”情報洪水”です。ハザードマップを見て”安全”だからという判断ではもう一歩足りない。地表・地質踏査をしていて同じ地盤、同じ現場が二つとないことを実感するのと同じように、”自分にとってのハザードマップはどこにもない”のです。見方をかえればハザードマップに使われないように、あるいはそれだけではわからない土地の成り立ち、強度分布を調査し情報提供することなど、地質技術者が市民からの元請をできる市場を作るチャンスだともいえます。

2011年8月22日月曜日

行動指南型から状況通告型へ

 今日の神奈川新聞に先月19日の豪雨時に避難をしなかった住民が多かったことの背景を考える記事が掲載されていました。住民のなかには「あれほど激しい雨の中を移動する方が危険だ」「昨年の豪雨に比べて雨も土砂量も少なかった」という"自分で正当”に判断した人が多かったとのことです。
 群馬大学の片田先生は「市町村合併で面積が広い自治体が増えたこともあって、行政の災害対応には限界がある」と指摘されています。たしかに平成の大合併は、地域の風土をかなり無視していますので、ひとつの基準ではとても対応できません。それに、情報過多になっていますから、役所の「避難してください」というメッセージよりも、「自分の行動は自分で決める」と反骨してしまうのでしょうか。”流木が増え始めた”とか、”流出土砂が増えてきた”など、きわどい情報は出すほうにも勇気がいりますが、自然が今どういう状況にあるのか、イメージしやすい、そして切迫感のある情報の出し方(パニックをおそれず)を考え直す時期でしょう。

2011年8月21日日曜日

巨大津波、三陸で6千年に6回か…地層に痕跡

 平川一臣先生の研究グループが、気仙沼で去約6000年間で6回の大津波に襲われたことを示す地層を発見したとの記事がありました。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110822-00000003-khks-ent
 平川氏は4月、津波の痕跡高調査で大谷海岸を訪れた際、切り立った崖に津波で運ばれた海岸の石などの堆積物の層を発見した。
 湿った黒土層や泥炭層が重なる幅約7メートル、高さ約2.5メートルの範囲に、6層の津波堆積物を確認。上から5層目の下に5400年前ごろの十和田火山噴火による火山灰の層があり、火山灰の下の6層目の痕跡を約6000年前と推定した。
 見つかった土器の年代から、3層目は約2000年前の津波による堆積物と特定。津波堆積物の間の黒土層の厚さを基に、平川氏は最も上の層は1611年の慶長三陸津波、2層目は貞観地震津波と推測する。 十和田火山は915年にも噴火しており、2層目より上にこの火山灰が確認されれば、2層目は貞観地震津波の可能性が高くなる。目視では火山灰と思われる物質があったという。
 岩手県宮古市田老の標高約17メートルの谷底でも、過去の津波堆積物を調査。まだ年代の決め手はないが、津波堆積物の一つは貞観地震津波の可能性もあるという。

 平川先生は、このほかにも津波堆積物の研究をされており、伊豆半島の南端で安政東海地震時の津波堆積物の痕跡と思しき堆積物の調査もされています。

 伊豆半島南端の入間に伝承された1854年安政東海地震による津波堆積物の掘削調査,歴史地震 (24), 1-6, 2009
 http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_24/HE24_001_006_01Fujiwara.pdf

 平川先生は、気候地形学の大家でもあり、私は学生時代にどちらかといえば氷河地形・週氷河地形で平川先生の論文を読み、勉強していました。私たちが「災害」と呼んだり「恩恵」と呼んだりしている自然現象は、第四期の気候変動・地殻変動の賜物なのですが、時間軸が人間のライフサイクル(何より防災に関わる予算のサイクル)を大きく超えているので、なかなか防災対策・土木工学に生かされなかった側面はあると思います。東日本大震災を契機に、この自然観のギャップを小さくしなければならないのでしょう。

2011年8月20日土曜日

災害科学と科学コミュニケーション

 先日応用地質学会誌とともに届いたJGLに、東大地震研究所の大木先生の記事がありました。最近、私たちも斜面の問題、谷埋め盛土の地滑りに関することなど、地域住民の方から問い合わせを受けることが多くなりました。そのたびに専門用語の問題や、自然現象を過不足なくイメージしてもらうようにどうすればよいかなど、迷うこともあります。 
 大木先生は、科学者として改善すべき点、として、以下のように述べられています。

 科学の世界が「目安」として出した情報が、外に出た瞬間に「科学的根拠」と認識される。進行中の科学の分野においては、研究成果から得られる情報は常に曖昧さを含む。社会の構成員が科学と対峙するときに真に必要となるのは、あいまいな情報から各自が判断をする力である。

 地震予知のみならず、私がよく関わる斜面の土砂災害の問題においても、常に曖昧さは付きまとっています。そもそも地形図の等高線にしても、いわゆる”えいやッ”を連発しながらつくるものです。ましてや地質図や地形分類図は、斉一観、自然観を総動員して作成するものなので、定量≒科学とイメージしている人には、なかなか存在意義を伝えにくい、残念ながら概要図以上の扱いを受けないことも少なくありません。
 これらのことは、ハザードマップを作る立場になれば実感できると思うのですが、なかなかそうは行かないようです。地形・地質に関わる専門家は、かつての津波堆積物や深層崩壊に起因する土石流堆積物の分布をつぶさに記載しても、それは何万年と繰り返されてきた地形変化、自然現象の”一断面”でしかない、という謙虚な気持ちを持っていると思います。しかし、「基準」「根拠」を求められたとき、形にならない部分をどのように発信するのか、いつも考え続けていると思います。

2011年8月19日金曜日

応用地質学会原稿

これは今年の4月29日に撮影した写真です。応用地質学会では、なぜここに限って電柱が傾いているのか、いまの地図からはわからない事実について考察したことを発表します。

2011年8月18日木曜日

土層強度検査棒(土検棒)

 ㈱環境地質と太田ジオリサーチは、(独)土木研究所と「特許を受ける権利実施許諾契約」を締結し、土層強度検査棒の製造・販売を開始します。

 環境地質 http://www.kankyo-c.com/dokenbou/doukenbou.html
 太田ジオリサーチ http://www.ohta-geo.co.jp/dokenbou/dokenbou.html

 "棒”というアナログな響きですが、土層強度(c,φ)を求めることが出来ます。なにより”歩きまわる”ことと"計測”することを両立できるので、面的調査ができます。この斜面やばいんじゃないか、と思いつつ、ボーリングしていたら日が暮れた、ってなことはコレを使えば解決できます。

2011年8月17日水曜日

鉄根打設工法

”鉄の根っこ”で樹木を切らずに表土を保全。施工が早く、経済的で環境負荷も少ない斜面表層の安定工法!!

http://www.kankyo-c.com/tekkon/tekkon.html

はっきりいってすごく速い。表層崩壊対策なら効果があります。土層強度検査棒とセットで。

2011年8月16日火曜日

防災格言193

『 津波は、並の足では逃げ切れない。遠方に白い波頭が見えた時が逃げ出す最後のチャンス。 』
阿部 勝征(1944~ / 地震学者 東京大学名誉教授 東海地震判定会会長) 阿部勝征教授は、地震規模を示すマグニチュードと同様 に津波の高さから津波の規模を示す「津波マグニチュード(Mt)」を考案し た津波地震の専門家。

津波は、水深が深いほど速く、水深5,000mだと時速800km/hとジェット機並 み。海岸に近づくと、速度が鈍るかわりに、勢力がしぼられて波高が急に高 くなる。それでも水深200mで時速160km/hはある。陸に上がっても毎秒数メ ートル。並の足では逃げ切れない。遠方に白い波頭が見えた時が逃げ出す最 後のチャンス。 津波は国際的にも「tsunami」で、日本は津波常襲国。瀬戸内沿岸以外、ど こも津波に襲われる危険性がある。

2011年8月15日月曜日

防災格言192

格言は、京都府舞鶴市で51.9m/sの最大瞬間風速を記録し九州から関東にかけ死傷者580名を出した「平成16年 台風23号」から5年目となる2009(平成21)年10月20日~24日に両丹日日新聞で特集された「台風23号から5年」記事より。

曰く―――ゲリラ豪雨などの時は急激に水が増え、避難所に行くには危険な場合がある。

避難所まで逃げられない場合、近くの3階建ての家などに逃げるのは有効で、どこにそうした家があるかを知っておくこと、また高齢者や体の不自由な人らを助け出すため、情報を共有することが大切。高い場所にある家などに逃げられるような取り決めや、高齢者らを手分けして助け出すということを今後話し合い、マニュアル化していくことが必要です。一番の基本は、地域の中での取り組みも大事だが、災害時に家族の間でどうするかを日ごろから相談しておくこと。水害の場合、突然襲ってくる地震と比べ、まだ避難したり、家財を片付けたりする余裕があるが、油断は禁物。近年の雨の降り方を見ると、これで大丈夫ということは言えない。

2011年8月14日日曜日

防災格言190

小松左京(こまつ さきょう)氏は、星新一・筒井康隆と共に「SF御三家」と呼ばれる日本SF界を代表する小説家の一人。京都大学文学部を卒業後、1961(昭和36)年、月刊誌「SFマガジン」に掲載の「地には平和を」、翌1962(昭和37)年「易仙逃里記」で作家デビュー。

1973(昭和48)年、大規模な地殻変動により日本列島が水没するという設定の「日本沈没」を発表。400万部を超える大ベストセラーとなり、日本推理作家協会賞を受賞したのをはじめ映画やテレビドラマ化もされ一大センセーションを巻き起こした。主な代表作に「復活の日(1964年)」「さよならジュピター(1983年)」「首都消失(1985年)」など多数。

格言は阪神淡路震災直後に発売された文庫版漫画「日本沈没(原作:小松左京 / 劇画:さいとう・プロ 講談社漫画文庫 1995年5月刊)第1巻」のあとがき「阪神大震災に遭遇して」より。1995(平成7)年、大阪府箕面市にある自宅の二階で就寝中に阪神淡路震災を体験したときの状況を語っている。

『 ドーン、ドーンという激しい縦揺れに襲われて、目を覚まし起き上がろうとしたのですが、今度は横揺れで起き上がれない。揺れていたのは30秒くらいでしょうか。でもこういう時は実際より長く感じますからね。やっとのことで部屋を出ると応接では本棚二つとビデオラック、飾り棚などが倒れ、割れたガラスが飛び散っていました。 建築にコンピューターが導入されてからできたものの思いもかけぬもろさに驚き、火事がすごい勢いで広がっていく映像を見ながら、すぐ消火ができない都市の機能のおそまつさも意外でした。』と述懐。

2011年8月13日土曜日

防災格言186

橘 南谿(1753~1805 / 江戸時代の医師 朝廷医官 『東西遊記』の著者)伊勢(三重県久居市)出身の橘 南谿(たちばな なんけい / 本名:宮川春暉(はるあきら)字は恵風 号は梅仙)は江戸時代中後期に活躍した医師。19歳で医学を志し上京。臨床医としての見聞を広める医学修業のため諸国を歴遊し、後に紀行文『東西遊記』を刊行した。

この格言は、寛政7(1795)年の著書『西遊記』(参考:上田万年抄本「東西遊記(大正14(1925)年)」)より。南谿が、熊野古道の海辺にある長島(三重県紀伊長島)へ行った際、禅寺「佛光寺」に立ち寄り「津浪流死塔」と題す碑文を見つけた。宝永4(1707)年の宝永地震(M8.4 東海・南海・東南海地震が同時発生し死者2万人以上)で建てられた碑文であった。

自ら近隣を巡り津波のことを尋ね歩き、付近の地理を考えて、津波について自論を述べたもの。曰く『 長島の町家近在皆々潮溢れ、流死の者おびただし。以後大地震の時は、其の心得して山上へもにげ登るべきやうとの文なり。いと實體(実体)にて殊勝のものなり。誠に此の碑の如きは、後世を救ふべき仁慈有益の碑といふべし。諸国にて碑をも多くみつれども、長島の碑の如きは、めづらしくいと殊勝に覚えき。 』と所感を述べている。

2011年8月12日金曜日

気候変動とエネルギー問題

気候変動とエネルギー問題 - CO2温暖化論争を超えて

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2011/07/102120.html

 整然として明解な主張が並ぶ読みやすい本です。本の帯には「時間がない」と切迫した文言が掲載されています。裏表紙の帯には

「震災復興が急がれる今、莫大な国費を根拠薄弱なCO2削減策のために浪費することは許されない」

 とあります。地質学や古気候学、エネルギー技術の最前線の知見が分かりやすく説明されています。 このような分野に関しては、武田邦彦先生がTVにもよく出演されることで有名ですが、この本の著者、深井先生も、武田先生同様材料工学が専門です。

2011年8月11日木曜日

防災格言120

防波堤があろうがなかろうが、自分の命は自分で守る意識が大切だ。 』山下 文男(1924~ / 作家 津波災害史家 代表作「津波ものがたり」)

山下文男(やました ふみお)氏は岩手県三陸海岸生まれの作家。1896(明治29)年の明治三陸地震津波(死者・行方不明者21,959人)では、山下氏の一族8人が溺死しており、自らも少年時代に津波や昭和東北大凶作(1930~34年)を体験した。1986(昭和61)年から歴史地震研究会の会員として津波防災の活動に従事されている。

格言は、明治三陸大津波から百年追悼式典(岩手県田老町で1996(平成8)年開催)に出席したときの言葉より。―――この式典の約4ヶ月前(2月17日)に発生したニューギニア沖地震(M8.2)で太平洋沿岸に津波警報が発令された。ところが三陸沿岸の住民の96%が避難勧告を知りながら「我が家だけは安全だと思った」という理由から、実際に避難した人はわずか19%だけだった。高さ10mの防波堤があるからといって安心してはいけない、と警鐘を鳴らしたもの。

2011年8月10日水曜日

ゲリラ豪雨とは何か

 このブログでも何度か書いている"ゲリラ豪雨”ですが、牛山先生が”業を煮やした”ような形で論文を書いておられました。

牛山先生のツイッターより
 従来からあった現象を,「全く新しい特殊現象」のように扱うのはおかしいと,私も思います.「ゲリラ豪雨」すら不明確なので,「ゲリラ豪雨と災害の関係について」という論文を書いてみました
http://disaster-i.net/notes/20110308_0085.pdf

 私も思っていたのですが"ゲリラ豪雨”というテクニカルタームはないのだそうです。マスコミには2008年から突如として出てきた、それこそゲリラ的に出てきたような印象です。この論文の図ー3で見てわかるように、時間80㎜、日雨量200㎜を超えるような豪雨は30年以上前から何回もあるのです。
 この論文の主たるメッセージは最後の方にあって、「ゲリラ豪雨」という降雨現象そのものは,小倉が言うように「不意に襲って」くるかもしれない.しかし,その現象によって生じる被害は,予想もつかないような場所で生じるのではなく,ハザードマップなどからも読み取りが可能なリスクの高い場所で生じると考えられる。

 というところです。津波にしろ"夕立”にしろ、安全は場所で確保されるということです。

2011年8月9日火曜日

技術士夜話

 社長がブログをはじめました。
 
 技術士夜話 http://gijutsushiyawa.blogspot.com/

 良い意味で脱力感のある、暖かい語り口調です。社長曰く、「企業内技術者には、自分は高度な専門職である、地域社会に貢献すべき立場、職種である」という自覚が足りない。だから、技術士は動あるべきかを語っていきたい。まずは最初だから、ソフトな口調にしたが、そのうち厳しいことも書いていく。とのことでした。
 技術士は”公共事業の元請”にとっては最初に書類で問われる必須の資格です。”エンドユーザーからの元請”という意味では、世の中の人が技術士という資格を知らないこともあり、最初から必須要件として書類にこそ書いてありません。しかし、本当に技術士・技術者のステイタスを高め、私たちの生活を支える必須の資格となるためには、エンドユーザーからの元請”を地道に増やしていくほかないのだろうと思います。

2011年8月8日月曜日

隆起が始まった東日本

 昨日各新聞に、宮城県を中心に地盤の隆起が始まったという記事が掲載されていました。

 震災で沈下した地域の一部隆起 宮城・牡鹿半島8センチ
 http://www.asahi.com/special/10005/TKY201106130484.html

 これまでは石巻市などで地盤沈下に伴い、満潮時には海水が遡上して生活に支障が出ていることが話題になっていました。おそらく十数年から数十年、すなわちいまそこで生活されている方が現役の間に地盤は隆起してくることになります。そうすると排水系統が問題になってきます。いま、ハードな対策をしておくと、将来的には地形が隆起してきますから管が逆勾配、排水逆流という事態を招きかねません。これまで、土木工学と地質の時間スケールの違いに戸惑いを感じましたが、中長期的で柔軟な対策が必要になってきます。

2011年8月7日日曜日

CO2はどこへ?

 武田先生のブログを読んでいて思い出しましたが、CO2と地球温暖化の議論が鳴りを潜めたように思います。鳴りを潜めたというよりは、放射能の議論取って代わられたといったところでしょう。放射能は実害・健康被害をもたらすのに対して、CO2が増えると一体何がもたらされるのか、あまり具体性のないイメージばかりが先行していた感もあります。だからといって、議論をしないという思考停滞もよくないので、大変な時期ではありますが、科学的・論理的な自然観を醸成していかねばならない時期でもあるのでしょう。

2011年8月6日土曜日

7月12日の高知県の崩壊

国際航業のサイトに、今年7月に高知県で発生した大規模な土石流の航空写真が掲載されていました。

【速報】平成23年7月 高知県東部・平鍋地区付近の土砂災害
http://www.kk-grp.jp/csr/disaster/201107_kochi/index.html

驚いたのは崩壊というより土石流の規模です。5mスタッフを持った技術者の方が小さく見えます。バイオントダムの悲劇さえ思い起こさせる規模。ダム津波も発生したとのこと。確かこの地域では、7年前の2004年にも大規模な崩壊が発生しましたし、なにより加奈木崩れも近くにありますので崩壊については”さもありなん”ですが、谷全体が流動化したのはどういうメカニズムか興味があります。
また、加奈木崩れで思い出しましたが、加奈木崩れ堆積物のC14年代が測定されていました。

http://www.jstage.jst.go.jp/article/jls/44/3/185/_pdf/-char/ja/

地味ですが、こういった地質学的知見から豪雨や地震、土石流の発生頻度を明らかにしていって”想定の範囲”を広げていく活動も必要です。

2011年8月5日金曜日

手計算

 あるひとが、携帯電話のほうがパソコンより漢字変換しにくいという話をしました。どうもその方は、携帯電話が出始めた1995年ころに携帯を購入し、なんといまの携帯が2台(代)目。なかなか珍しいとおもいますし、よく話すのですがかなりアナログな方です。
 ただ一緒に地質踏査をしていると、その空間把握能力に驚かされ、そしてスケッチと言葉のシンプルさに驚かされます。ただ言葉についてはもう少し語ってほしい。スケッチひとつとっても、パッとみたまま書けばいいといわれるのですが、今岡さんの言葉を借りると

現場から読み取れる無数で多様な情報源から、経験と直観力によってノイズ(調査目的に対して無用なデータ)を削ぎ落とし、抽出したシグナルのみを、非専門の人々にも「見える化」する。その作業が現場の技術者の脳内で瞬時になされる

このスピードと処理能力がすごく高度で速いんだと思います。
その能力はPCを超えており、安定計算を手計算でされた経験も豊富なので、下手な二次元解析より、その人の直感(観)が上回るわけです。数値化されたものでしか評価できない(私も含め)現代社会には、まず及ばない芸当です。

2011年8月4日木曜日

地理学科あるある

 私も地理学科ですが、もう最高に面白いサイトを見つけました。

 地理学科あるある http://twitter.com/#!/search?q=%23地理学科あるある

 ・どんなに僻地でも絶対に酒屋があることを知っている
 ・ジュビロ磐田の那須大亮選手が地理学科出身(しかも母校の後輩)と聞いて、引退後はうちの会社に来ないかな、などと妄想する。
 ・気づいたら地理学じゃない気がする。
 ・住宅地図が読めても地形図が読めても迷うものは迷う。実際歩くのは別
 ・露頭で記念写真のふりをして彼女をスケール替わりにする。
 ・デート中についつい露頭を見てしまい、「私と地層のどっちが大事なの!」と彼女に怒られる。

2011年8月3日水曜日

科学的であるということは

 東大地震研究所の大木先生が興味深い講演をされていました

 科学は「解明途上」周知を
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/accident/520593/
 そもそも科学・技術に関する学問は、仮説を立て実験などで検証することで事実を積み上げていく。でも、地震学では実験ができない。シミュレーションで何通りもの予測を立てたとしても、本物の地震が起きないと証明すらできない。しかも大きな地震ほど頻度が少なく、ときには数万年に1度という低頻度になるという問題を常にはらんでいる。これまでの地震の科学は、あまりにも物理や数学に偏っていた。あるいはスーパーコンピューターに頼っていた。地震学の知見を本当に防災に生かすのであれば、古代の地震を記録した古文書を分析する歴史学や、大地に残された歴史を調査している地質学との連携を進めるべきだった。

 これは、シミュレーションで何通りもの予測を立てたとしても、、、の部分は、いわゆる”深層崩壊”にも当てはまります(私は、深層崩壊という言葉がいまひとつしっくりきていない、鈴木先生の言葉を借りると形態用語的です)。七面山崩壊は安政東海地震で発生したと考えられていたのが、古文書の精査で少なくとも鎌倉時代には、大規模な崩壊地として存在していたことが解明されました。
 下山先生の見解にもあるように、科学的であることは定量的であることを意味しないということでしょうか。防災とはもとより学際的な分野ですから、定性的な知見も重視されるべきでしょう。

2011年8月2日火曜日

そこでおきた地震

 8月1日(月)午後11時58分頃、駿河湾で発生した地震の震源域周辺の電子基準点で観測されたデータを解析した結果(8月3日午前6時までのデータを使用)、データのばらつき具合に比べ、現時点ではこの地震に伴う有意な地殻変動は検出されていません。
 http://www.gsi.go.jp/chibankansi/chikakukansi_surugawan20110801.html

 これは地理院の発表です。2000年代に多発した内陸地震は、多くは”目立たないリニアメント”でした(鳥取、中越、福岡、能登、中越沖、岩手・宮城内陸)、、、でも今度ばかりは大本命の場所です。科学的事実として東海地震の前震ではないにしても、防災は心理学の側面も強いですから不気味です。ボスが手ぐすね引いて待っていそうです。

2011年8月1日月曜日

土地条件図「更新版」- しかし、、、

 国土地理院が土地条件図の更新版を発表しました。

 http://www.gsi.go.jp/bousaichiri/lc_index.html
 http://www.gsi.go.jp/bousaichiri/bousaichiri60012.html
 大規模な地震が発生した場合には、高い盛土での地盤の崩壊や、旧河道・埋立地での液状化等により、大きな被害が生ずるおそれがあります。そのため、国土地理院は、東京都と神奈川県周辺を対象に、防災対策や土地利用・土地保全・地域開発等の計画策定に必要な基礎資料として、昭和30年代から整備してきた土地条件図に含まれる人工地形(盛土地、平坦化地など)の情報を更新し、8月1日から提供を開始します。およそ30年前に比べ、東京都・神奈川県の「高い盛土地」は、約90㎢(山手線内側の約1.4倍)増加しています。

 実際に土地条件図をみてみると「まっピンク」。特に平野部はピンク色に塗りつぶされている。これでは旧河道や後背湿地、台地上の浅い凹地の切盛境界など、本当にクリティカルな部分を読み取ることが出来ません。家を建てるときは少なからず盛土をしますから、そりゃ盛土は増えるわけです。もともと土地条件図は人工地形と自然地形を同じ紙のひとつのレイヤーにまとめてしまっているので分かりにくかったのですが、開発前の地形の原点が見えるような情報図としてほしかった。