2010年7月13日火曜日

改めて「記録的」という言葉

 このブログでは、豪雨に関する「記録的」という言葉に対する疑問を述べた事がありますが、静岡県立大学の牛山先生のブログでも、同様の懸念が述べられていました。

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毎年発生する災害事例と比較してそれほど激しい状況になっていない段階で,繰り返し繰り返し「記録的」「災害多発」などということが適切でないと言いたいのです.本当に「記録的」で激甚な災害が発生しそうになったときに,その警告が「またか」と軽視されてしまうことを懸念しているのです。(途中略)月降水量などの非常に長い積算降水量が多いだけでは,洪水,土砂災害には直結しませんが,その後に,1時間,24時間などの降水量が「記録的」になると,危険性が高まります.警戒を怠ることのできない状況であることは確かです。
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最近毎年「記録的」という言葉を聞きます。そして、○○観測所では史上最大値を更新しましたという報道もなされます。それが地球温暖化に短絡されることもしばしば、、「記録的」なのは”記録があるから”であって、アメダスのたかだか30年くらいの記録は簡単に更新されます。例えば終戦直後のカスリーン台風や昭和28年西日本豪雨、日雨量24時間降水量が1,109mmを記録した昭和32年諫早豪雨(南へ約20km離れた島原半島南端では日降水量がわずか86mmと1000mm以上の差があったそうです。いまで言う”ゲリラ豪雨”です)の時代、私が洪水・土石流の痕跡を探しにに足しげく歩いた昭和42年羽越災害、、現在と同じ観測網、情報網があったらもっと「記録的」だったのではないでしょうか。

※今朝のテレビでも「梅雨末期になぜ豪雨?」という視点で報道がありました。梅雨末期がいちばん豪雨災害が多く発生しているので、全然不思議な感じはしないのですが、、、

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