2011年3月5日土曜日

バットが折れる悔しさ - 手書きの経験

 豊田泰光さんのコラムに、金属バットの弊害として「バットを折られる悔しさを味わうことが出来ない。これがあるから、技術を自分の体に染み付くよう、努力するというものだ」という文章がありました。なるほど、ピッチャーライナーの危険性と打球が飛び過ぎることだけではなかったのですね。
 そいいえば、地形判読図やスケッチを出来ない学生、技術者が増えていると聞きます。できないというか、やらせてみたらどうにもセンスがないというのです。ある先生は、その原因は、手書きをせずにいきなりCADやイラストレータで書くからではないか、とおっしゃってました。
 私の恩師は、手書きはたとえ人のものの丸写しでも、同じものはふたつとないことが実感できるし、一筆に根拠が必要だからしっかり考えるくせがつくといわれました。ローテクかも知れませんが、手仕事を知ることは、技術に関わるものにとっては必須です。地質に関していえば、自分の仮説が現場で覆されたとき、それはバットが折れたような悔しさなのかもしれません。しかし、そういったことを繰り返して、自然を見る目が少しずつ養われるのでしょう。そして、災害の記憶と想像力が豊かになれば、避けられる被害も増えるかもしれません。

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