ここに掲げた3枚の写真は、いずれも同じ地すべり地です。海に沈む夕日が美しいところです。
まず、左の写真。まんなかの筒のような構造物は深礎工です。所狭しと住宅が立ち並び大きな道路が通る都会のど真ん中ではあんまり見ない工法です。さらには、施工中にやはり地すべりが発生したのか、道路側からさらに地すべりを抑えるための構造物が施工されています。
さて、この道路から急な路地を入っていった擁壁が真ん中の写真です。はらんでいてコンクリートに大きく開いたヒビが発生しています。四国の山の中の地すべり地帯で、このような道路擁壁を良く見ましたが、、、いま地震がきたらと思うと恐ろしくなります。
そして、この地すべり地の滑落崖上部に、地すべり防止区域であることを示す看板が設置されています。都会の真ん中、しかもこの近くには(災害弱者である)幼稚園があるのです。さらにいえば、この地すべり地は昭和48年11月に動きがみられ,49年3月には移動速度6mm/時,主滑落崖の高さは2mにも達し、この地すべりの規模は,小型で,幅約50m,長さ約80m,深さ約10m、地すべり地の右側の亀裂は幼稚園の建物を横切り、 左側の亀裂は宅造地帯を横切り、多くの住宅に損害を与えた.結局4戸は取壊され,7戸が一時移転させられたという歴史があります。災害の記憶の風化を地で行く。ちょっと衝撃でした。
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