2011年9月30日金曜日

地質リスクマネジメント事例研究発表会

 地質リスクマネジメント事例研究発表会が10月21日に行われます。論文集がフルカラーでHPからダウンロードできるのはあるようでなかなかありません。

 http://www.georisk.jp/2011/georisk_paper_colr2011.pdf

 過大設計やそれによって生じるコストの無駄をいかにに避けるかという内容の論文が多く寄せられています。学会論文というよりは技術士の経験論文的な感じもします。道路やトンネル、地すべり対策といったインフラ整備に関わる論文が多いのですが、観光資源となっている岩盤の崩落のリスクを回避する対策や裁判事例など、暮らしに密着した話題もあります。
 そこまでに現場終わらせて参加したいのですが、どうも微妙です。

2011年9月29日木曜日

久しぶりの更新

ながーい出張が終わりました。ひとまずですが。つかれました。

2011年9月15日木曜日

宅地斜面の相談

 先日個人の方から、宅地の斜面の調査依頼がありました。その方は、斜面の上に住んでいる方で、斜面が崩れることによって、崖下の住民の方に対して自分が加害者になってしまわないかという心配でした。幸い危険性の低い斜面だったのですが、”加害者になるのでは?”という依頼を受けたのは、私は初めてでした。東日本大震災、紀伊半島災害と大規模な災害が相次いだため、確実に防災意識は高まっていることを実感しました。

2011年9月12日月曜日

情報共有と防災

 今日、ツイッターをみていたら、紀伊半島の被災地(被災地が各地にできるのは、本当に避けたいものです)から、公式ツイッターを求める声が上がっていました。

東日本大震災でtwitterが大活躍しました。今回の台風12号の紀伊半島被害でもtwitterがあればどれだけ心強いかを知りました。今からでも遅くありません。全国都道府県庁、各市町村役所に公式twitterの立ち上げをお願いしたい。 

 私が社会人になった年には阪神・淡路大震災がありましたが、現在ではスマートホンなど片手でいろんな情報が得られるようになりました。この点は改めてスゴイ進歩だと思います。

2011年9月10日土曜日

十津川災害の文献

  国会図書館に、千葉徳爾(1975)明治22年十津川災害における崩壊の特性について-1-,-2-をコピーしにいきました。ネットで入手できないので。ところが製本作業中でコピーできませんでした。
 篭瀬良明(1976):明治二二年十津川水害 (災害の歴史地理)歴史地理学紀要 (18), p201-225, こちらはコピーできました。当時は、いわゆる”本川”が塞き止められ、現在の”人工ダム”に匹敵するほどの"天然ダム”が形成されていたことが明らかにされています。
  だから今回の災害は「大規模」ではあるが「未曾有」ではない。「深層崩壊」を印象付けようとする前に、歴史に学ぶことも大切ではないでしょうか。

2011年9月9日金曜日

防災格言

ピザの塔は歪んで居るから立って居るのではなくて、歪んでも立つ丈(だけ)の基礎があるから立って居る。

徳冨蘆花(1868~1927 / 明治の文豪 代表作『不如帰(ほととぎす)』『自然と人生』)

2011年9月7日水曜日

十津川災害 - 学際的アプローチ

 明治22年の十津川災害は、多くの研究が行われていますが、そのアプローチは学際的です。例えば、明治災害前後の土地利用状況を詳細に調査した研究があります。



人文地理学ではこのような研究がよく行われる。注目すべきは”ほとんど流失”したなかで”段丘部分を残して”など、残った部分も詳細に記載されているので、現在の防災計画にもつながると思います。
わゆる”理系”の文献だけではなくて、”歴史地理学紀要”、先に紹介した”東北地理”、水利科学(水理ではない)”人文地理”など、多くの分野にまたがっています。

土木工学だけでなく、土地の歴史・文化も踏まえた復興策、そして記録が大切だと思います。

2011年9月6日火曜日

改めて明治22年十津川災害

明治22年の「吉野郡水災史」を解析した論文では「大崩」と記載された崩壊地のうち空中写真判読で妥当と思われる箇所が約200箇所とあります。

2011年9月5日月曜日

古い話題の論文

 昨年(2010)年9月8日に、神奈川県北部で記録的な豪雨があり、土砂と流木が流出する災害がありました。そのことについて、いま論文を書いていますが、3月11日の強烈さにすごく過去の話題のような、いわば隔世の感すらあります。しかし、現在の紀伊半島の状況をみるにつけ、やはり土砂災害は不幸な年中行事となっています。”山津波”もまた自然の営みの一断面と言ってしまえばそうなのですが、どうも今回は十津川災害クラスかもしれません。そうなると、ハード対策や3世代の記憶も及ばない範囲ですのでとても心配です。

2011年9月4日日曜日

水害

 牛山先生がツイッターで、「深層崩壊という言葉が一人歩きしている」と懸念されています。明治22年の災害が「水害」「吉野郡水災誌」として語り継がれているように、被害を大きくしているのは洪水もありあます。流木が大量にダムに押し寄せた映像もありました。インパクトのある映像ばかりですと、災害に記憶と想像力が低くなっていしまい、それが未来の被災を助長し、、

2011年9月3日土曜日

防災格言

『 "助けて"と自分から言えない人を見つけることが一番大切 』

草地賢一(1941~2000 / 牧師 国際ボランティア学会創設者 PHD協会総主事)草地賢一(くさち けんいち)氏は関西のNGO活動の草分けとして知られる人物。

世界各地の災害ボランティア活動をする人々に多くの影響を与えた。関西学院大学神学部を卒業後、YMCAや国際協力NGOである神戸のPHD協会で長く活動。阪神大震災(1995年)の発生直後に個々のボランティア達の連携と行政との対等なパートナーシップを構築するため、阪神大震災地元NGO連絡協議会を発足させ代表に就任。以降、国内だけでなく災害が発生すれば海外の現場にも必ず足を運んでボランティア活動を精力的に行った。

2011年9月2日金曜日

Deep Catastrophic Landslide

 地盤工学会誌59巻4号の技術手帳に、深層崩壊という記事が掲載されていました。率直に言って、二つの点に!?と思いました。
 ひとつは深層崩壊の発生件数の変遷のグラフです。1888年に突出していますが、これは明治の十津川災害でしょう。その後終戦直後くらいまで少ない数で横ばい、90年代後半になって十津川災害時の同じ数に、、、ということが読み取れますが、これは”史実”と”事実”の違いでしょう。
 もう一つは、深層崩壊の英語。三つの単語も実に強烈で破滅的というイメージです。侵食現象は自然の営みの一断面なのですが、言葉が強いなあという印象です。

2011年9月1日木曜日

メガロポリス震災

 太平洋ベルト地帯、東海道メガロポリス、、地理の時間にこのような言葉を習いました。地理学文献購読では、フランスの地理学者ジャン・ゴッドマンの名論文「メガロポリス」を辞書を引きながら読み込みました。
 メガロポリスを日本語で書くと「巨帯都市」となります。ジャン・ゴッドマンは1960年前後に、アメリカのボストンからワシントン至る地域において、NYやフィラディルフィアなどの大都市が、産業構造的にも強い連帯性を持った都市圏の存在を指摘し、「メガロポリス」という概念を提示しました。高度経済成長時代でしたので、輝かしい響きを持っていたことでしょう。
 メガロポリスは、世界にはアメリカ東海岸のほか、先にあげた東海道メガロポリス、ロンドンからドイツのルール地方、イタリア北部の都市圏を結ぶブルーバナナなどがあります。

 しかし、プレート境界、地震多発地帯とメガポリスが平行しているのは、東海道メガロポリス(太平洋ベルト)だけです。メキシコやLAなど、ここの”メトロポリス”はありますが、狭い土地に所狭しと都市が連帯しているのはおそらく日本だけです。

 先日釜井先生が提唱された緑の等高線都市は、この無秩序高密度さをみていると遠い夢のように思うかも知れませんが、緑の多様性、豊富さも日本ならではです(それは地震、豪雨の恵みでもあるのですか)。この国の形、色、どうするか、私たちを上層とした次の世代の課題だと思います。