1週間ぶりのブログ更新です。
福島原発の事故を受け、エネルギーのあり方が再考されています。昨日の日本テレビの朝の番組では、水車を使った小電力発電が取り上げられていました。これをみて思い出したことがあります。私の母校の末尾至行先生(現在は退官されました)が、『水力開発-利用の歴史地理』という論考を出されていることです。
http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=jjhg1948&cdvol=23&noissue=4&startpage=359&lang=ja&from=jnltoc
水力開発=利用の歴史地理 ジャーナルアーカイイブより 人文地理 23(4), 1-36, 1971-08
この論文では、奈良盆地を対象として、水力開発のありようが時代とともに地域像をどう変えていったかが明らかにされています。 そして、論文の結びを引用してみます。
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本論文が扱った水力電気事業は,たまたまこの水路式発電段階で終りを告げている。それ故,この模式的な地域像の追跡も,以上の考察を最後に筆を擱くべきかも知れない。しかしさらに一歩を進め,水路式発電ののちに到来することとなったダム式発電段階における地域像についても,あわせてふれておこうと思う。
ダム式発電の創始によって,まず山間部にもたらされた大きな変化は,水路式発電時代には未だ隆昌であった水車の急速な衰退である。その経遏の一つはダムによって水没する村々と運命を共にして湖底に消え去るという例であり,他の一つは,発電量の増加にともない,山間部により広汎に普及するに至った電力による打撃である。もちろん,後者の経過には,蒸気機関等の近代的動力機関の滲透も,あわせて考慮されるべきであろう。
他方,ダム式発電時代の到来は,平地部にも大きな変化をもたらした。すなわち,ダム式発電による発電量の増加は,火力発電の充実・発展ともども,平地部の全域の電化を完了した。加えて,電力以外の近代的動力機関も充填的に普及したのが,平地部の姿である。かくして在来の水車は,まさに時代遅れの存在となって絶滅の方向を辿ってゆく。もしかりに,平地部に,水車の残存事例が認められたとしても,それはもはや水車所有主の執着などという,余程特殊な事情によるものと理解せざるをえないのである。
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この論文から40年の時をへて、「余程特殊な事情」は起こったと思います。地の理と科学技術の融合、エクセレント・スモール、そういった価値観の転換が求められているのではないでしょうか。
2011年5月29日日曜日
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