下山先生のブログに、「評価」という言葉について考えるときう記事があります
『評価』という「言葉」について 考える
「推定」や「仮定」では、何となく主観的に聞こえ、客観性に乏しく見え、信憑性を疑われそうだ、だから、信憑性がありそうに聞こえる別の言葉で置き換えて言おう、ということのように、私には思えるのです。
確かに、私が報告書を書くときに”使うな”といわれた言葉のひとつです。自分の考えに自信がないことをあらわにするようなものだと。基本的に自分の眼でみた現象、そこから考えたことは『判断した』、見えないが「判断した結果そうであろう」というときは「推定した」など、、
似たような言葉に「把握」があります。今村遼平さんの『報告書の書き方』という本に、「把握」は意味が不鮮明なので、他の言葉で置き換えること、という節があります。「認知できる」「計測した」「○○と△△は、XとYの関係で存在することを確認した」など、責任感を伴う言葉を使う、言い換えれば「把握」を使わないで済むような調査をするということです。
地質調査は露頭や転石など非常に限られた視覚情報のなかから、地球の歴史を考え抜く学問から、「把握」の領域から抜け出せたら一人前だということでしょう。私はまだまだです。
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