恐怖時代の次に来る極端な自己主義(エゴイズム)よりも、廃頽(はいたい)が恐ろしい。 』
竹久夢二(1884~1934 / 画家・詩人 美人画『黒船屋』詩『宵待草』で有名)
1923(大正12)年9月1日、帝都を関東大震災が襲った。当時、東京に15社あった新聞社のうち火災を免れたのは都新聞社(内幸町)、報知新聞社(有楽町)、東京日日新聞社(有楽町)の三社だけだった。東京の渋谷宇田川の自宅で罹災した画家・竹久夢二(たけひさゆめじ)は、都新聞(後の東京新聞)で連載中の自画自作小説『岬』の執筆を一時中断し、スケッチブックを手にとって都内各地を回って、『東京災難画信』と題した画と文章による被災地のルポタージュを都新聞で9月14日から10月4日まで21回にわたり連載した。
やつと命が助かつて見れば、人間の欲には限りがない。どさくさの最中に、焼残つた煙草を売つてゐる商人の中には定価より安く売つたものもあれば、火事場をつけこんで、定価より二三割高く売つた商人もあつたと聞く。高く売る者は、この際少しでも多く現金を持たうとするのだし、安く売る者は、たゞの十銭でも現金に換て、食べるものを得なくてはならないのだ。 三日の朝、私は不忍の池の端で、おそらく廿と入つてゐない「朝日」の箱を持つて、大地に坐つて煙草を売つてゐる娘を見た。煙草をパンに代へて終(しま)つたら、この先き娘はどうして暮してゆくのであらう。 売るものをすべてなくした娘、殊に美しく生れついた娘、最後のものまで売るであらうこの娘を思ふ時、心暗然とならざるを得ない。さうした娘の幸不幸を何とも一口には言ひ切れないが、売ることを教へたものが誰であるかゞ考へられる。恐怖時代の次に来る極端な自己主義(エゴイズム)よりも、廃頽(はいたい)が恐ろしい。
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