2011年1月13日木曜日

緑の川


 後輩が”昭和初期の砂防の本にはまっている”と、たものしくもにくいことを言うので、いろいろと考えをめぐらしてみました。そうすると、伊藤正紀氏の「砂防特論」というのがあって(そういえば、旧ブログでも取り上げたことがありました)、砂防とはその終局において”緑化”を目的とする、という言葉を思い出してみて、ネットで検索をしてみました。
 いろいろ深く検索しているうちに、「堤防植林」と「緑の川」という記事をみつけました。
 こういういい記事は、自分のブログにも残しておきたいものです。原典にふれることは、やはり気持ちがいいものです。
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●将来は堤防は最小限のものにして河川沿いに堤防上は無論,堤内側,堤外側にまたがる帯状の森林帯を造成したらよいと思う.つまり森林自体が護岸であり水制であり一つの堤防であることになる.
●しかしそれには一定の条件が要るのであって,こうした理想は河川の上流部から下流に向かって実現して行かなくてはならない.まず山間から流出してくる土石に対する一応の処置を尽くし,次に渓流々路の改修にあたっては,堤防や護岸の代りに森林を両岸に育て上げるように考え,そしてこの方針を漸時下流に及ぼして行くのでなければなるまい
●新しい考え方,理論などについて筆者はとりたてて意見を述べ批判しようとは思わないのであるが,ただ砂防は昔から相も変わらぬ同じ事ばっかりやっていて全然進歩がないと一概にいわれる向も多い.
●しかし,昔からやっていることの意味をよく振り返って考えて見るだけの度量を持って戴きたいと思う.「何故そうやっているのか」その意味を現場で砂防をやっている人に直接聞いても十分によく説明し得ないことが多かろうけれども,われわれは昔からのやり方の意味を十分に理解し,慎重に検討してからこれから先のことを考えて行きたい.思いつきのようなことをいきなりやって失敗した例は,砂防などの場合にとくに多いのである.このような時慎重な態度をとることは「砂防の発展のために」決して邪魔になるものでないと思っている。
●しかしいつまでも,どこまでも,白い工事を続けて行ったのでは全く切りがないことは明らかであるから,早く根本方針を再考するか,少なくとも折衷する線ぐらいを出さなければ,下流の平野部は永久に救われないであろう.

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