『 震災は、結果に於て、一の社会革命だった。 財産や位置や伝統が、 滅茶苦茶になり実力本位の世の中になった。 真に働き得るものの世の中になった。 それは、一時的であり部分的であるけれども、 震災の恐ろしい結果の中では只一の好ましい効果である。 』
菊池 寛(1888~1948 / 小説家 劇作家 文藝春秋創業者 代表作「父帰る」) 「文芸春秋社」の創業者で「芥川賞」「直木賞」の創設者である菊池 寛(きくち かん 本名は寛(ひろし))は江戸時代から続く高松藩儒学者の家柄の子として香川県高松市に生まれた。
高松中学校を首席で卒業後、京都帝国大学に在学中に、芥川龍之介や久米正雄らと第4次「新思潮」を創刊。京大卒業後、時事新報社会部記者を経て、小説『無名作家の日記(1918)』『恩讐の彼方に(1919)』などで一躍人気作家となり、記者を辞めて専業作家となった。大正12(1923)年、私費を投じて雑誌「文藝春秋」を創刊。大衆小説というジャンルを切り開いた。
大正15(1926)年、劇作家協会と小説家協会が合併し日本文藝家協会が発足させ初代会長に就任、文芸家の地位向上や生活や収入の安定、また言論の自由の擁護などの活動に尽力。自らも川端康成、横光利一、小林秀雄など新進気鋭の作家へ金銭的な援助を惜しまなかった。
昭和10(1935)年、日本文学振興会を設立すると純文学の新人作家を対象とする芥川賞・直木賞を新設。昭和18(1943)年には映画会社「大映」の初代社長を務めた。戦中に文芸銃後運動を発案し翼賛運動の一翼を担ったことにより戦後に公職追放され、失意のうちに59歳で逝去。没後に菊池寛賞が制定された。この格言は、関東大震災直後に発表した『災後雑感』(中央公論 大正12年10月)より。
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