東日本大震災は、平安時代の貞観地震の再来であるといわれていますが、そのときの災害史をひも解いてみると、貞観地震の18年後には東海・東南海連動地震が起きているし、内陸でも兵庫県や新潟県で地震が発生している、さらには貞観地震の5年前に富士山噴火が発生しています。まさに平安どころか、大地動乱の時代だったわけです。
http://web.me.com/orio/kodo/fuji-quake/fuji-index.html?089313603
さて、現在とにているのは、豪雨も頻発していたことです。京都の災害史をまとめた論文に、興味深いデータが示されていました。
河角龍典(2004):歴史時代における京都の洪水と氾濫原の地形変化―遺跡に記録された災害情報を用いた水害史の再構築―,京都歴史災害研究 第1号 (2004) 13~ 23
http://www.rits-dmuch.jp/rekishisaigai/pdf/1go/1_3.pdf
史料に記録された洪水発生回数は、平安時代前半に増加するが、この時期は、平安京右京が徐々に衰退し、平安京左京において都市開発が著しく進行した時期でもある。この時期、平安京の左京には鴨川の氾濫原(洪水氾濫区域)が広がっており、鴨川氾濫原への市街地の進出も水害を多発させた要因のひとつとして考慮しなければならない。これまで指摘されてきた森林伐採による流域の荒廃による洪水の増加に加えて、こうした土地利用の変化も災害発生回数の変動に影響したと考えられる。
ここで言われている洪水が、現在土石流や谷埋め盛土としての都市開発となっており、災害のポテンシャルを高める要因となっています。
このような激動の時代のあと100数十年してから、清少納言の枕草子が執筆され、日本の自然の美しさを愛でる文化が台頭しました。人間が自然に学ぶには時間がかかるものです。
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